この2人、皆さんは誰だか分かりますか?
見覚えがある!という人が多いかと思います。
彼らは同じ時代の登場人物。フランシスコ=ザビエル と 千利休 という名前です。
今回の記事では、この2人がいた時代の日本の文化についてご紹介します。
その他の歴史の内容を見たい、という方はこちらからご覧ください!それではさっそく内容を見ていきましょう!
15世紀になると、ヨーロッパで大航海時代 がやってきます。
すると、東南アジアに拠点をもったヨーロッパ人と日本の間で貿易が始まりました。当時の日本では、スペインやポルトガルなどのヨーロッパ人のことを南蛮人とよんでいたため、この貿易を南蛮貿易といいます。南蛮貿易を通して、ヨーロッパの活版印刷術や、医学などの実用的な学問が伝わりました。
戦国時代ごろからのヨーロッパの影響を受けた文化を総称して、南蛮文化といいます。
1543年、ポルトガル人を乗せた船が種子島に漂着し、鉄砲を伝えました。鉄砲は新しい武器として戦国大名の間に広まり、戦い方に変化をもたらしました。特に、1575年の長篠の戦いでは織田信長が鉄砲を大量に使用して、武田信玄から勝利をおさめます。
冒頭で紹介した有名人がひとり、ここで登場します。
1549年、イエズス会の宣教師 フランシスコ = ザビエル が鹿児島に上陸し、キリスト教 を伝えました。その後、多くの宣教師が熱心に布教活動をおこないました。貧しい人への慈善事業もおこなったこともあり、キリスト教は広まっていきました。キリスト教の広まりとともに、九州の大友氏や大村氏のような キリスト教を信仰する大名も現れました。これをキリシタン大名といいます。
キリスト教がやってきたころの日本を牛耳っていたのは織田信長です。彼はキリスト教の布教を容認していました。この理由として、敵対していた仏教勢力に対抗するため、また貿易による利益を得るため、という2点があげられます。
その後政権をにぎった豊臣秀吉は、初めはキリスト教の布教を認めていましたが、後に、勢力拡大をおそれてキリスト教を取り締まります。しかし貿易は続けたため、徹底されなかったそうです。
戦国時代の終わりごろ、商業や貿易が活発になったことで生じた富を背景として、大名・商人を中心に豪華な文化が栄えました。これを桃山文化といいます。
桃山文化を代表する建築物は「城」です。特に姫路城、安土城、大阪城を代表とした豪華で雄大な城が作られました。
城の内部には書院造を取り入れた部屋がつくられ、ふすまや屏風(びょうぶ)には金箔を使った豪華な絵が描かれました。屛風絵の代表的な画家には狩野永徳が挙げられます。
冒頭で紹介したもうひとりの有名人がここで登場します。
大名や商人の間では、交流の場として茶の湯が流行していました。茶の湯を学んだ千利休は、豪華な茶室や茶器を使わない、簡素なわび茶を完成させました。
17世紀の初めに、出雲阿国(いずものおくに)が京都でかぶき踊りを始め、人気を集めた。琉球(沖縄県)の三線をもとにつくられた三味線で伴奏をつける浄瑠璃や、浄瑠璃にあやつり人形の動きをつけた人形浄瑠璃も流行しました。
最後にそれぞれの文化に出てきたキーワードをまとめました。
南蛮文化
桃山文化
最後までお読みいただきありがとうございました。
今回は南蛮文化と桃山文化の特徴をまとめて解説しました。
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