【歴史】鎌倉・室町時代の文化

朝廷が中心の時代が平安時代で終わり、鎌倉・室町時代になると武士中心の時代に入っていきます。

すると、今まで貴族の間で流行っていた文化とは違う、武士や庶民の文化が多く生まれることとなりました(今の日本に残っている文化もこの時期に多く作られました)

鎌倉時代の文化

文学・説話

平家物語

平安末期に興隆した平氏の栄光と衰退についての物語です。鎌倉時代は文字を読むことができる人がそう多くはなかったので、読み本ではなく琵琶法師から語り継がれた語りでの平家物語は瞬く間に広がっていきました。

徒然草

吉田兼好が書いた随筆で、日本三大随筆の1つとされているものです。内容としては、世の中の様々な事柄についてユーモアを交えて記したものとなっており、当時の世の中を垣間見ることが出来る内容となっていて、今でも共感出来たり笑えたりする内容になっているそうですよ。

彫刻・建築

鎌倉時代に入ると、武家造という建築様式が武家(支配層)の中で広まります。武家造は寝殿造のような豪華絢爛なものではなく、質素なものでした。

この流れは室町時代にも続いていきます。

宗教

鎌倉時代に入ると、平安時代に主に貴族が進行していた宗教とは別に、鎌倉宗教として6つの宗教が広まっていきました。(宗教の布教についても、鎌倉時代は京ではせず、幕府のある鎌倉で行うことが少なくなかったそうです。)

広まった宗教は、浄土宗浄土真宗、時宗、日蓮宗、臨済宗曹洞宗などです。この中でも、臨済宗や曹洞宗は禅宗と呼ばれ、座禅を組んで悟りを開くことを特色としています。これら禅宗は鎌倉時代に入って初めて純粋な禅宗として入ってきたものでした。

農業・工業

鎌倉時代では、鉄を用いた農具が全国に普及したことで、生産性が向上しました。

また、幕府が二毛作を奨励した事で、各地で二毛作が行われるようになり、生産量も格段に上がっていきました。その他にも、桑や麻、ゴマ、茶などの栽培も盛んとなり、これらを使用した商品も作られるようになったことから、稲を作る以外で生計を立てられる人が増えていきました。

貿易

平安時代末期に平氏が宋との貿易を行っていましたが、鎌倉時代に入ってからも宋との交流は盛んになっていきました。

 

宋との貿易では宋銭、陶磁器、書籍、薬など様々な物が入ってくるようになりましたが、宋銭は特に日本国内でも広く流通し、実際に使われていたそうです。この頃の貿易というと、どうしても文化的・芸術的・仏教的なものばかり輸入しているというイメージで捉えてしまう部分があります(実際にそうである)が、この頃より実用的なものも入ってきているというのが面白い点ですね。

室町時代の文化

室町時代は、鎌倉時代と比べても争いの絶えない時代でしたが、応仁の乱が始まるまでは比較的穏やかであり、大陸からの文化や仏教、公家文化等を取り入れて、様々な文化が花開いた時代でした。

北山文化

北山文化は、足利義満の治世の頃を中心に栄えた、優美で上品な文化です。

最も有名なものは鹿苑寺の舎利殿(金閣)です。この建物は外側に金箔を貼り、見た目が豪華なのはもちろんのこと、内部の建物は、公家や武家、禅宗の建築様式を用いて建てられているなど、非常に興味深いものとなっています。

東山文化

東山文化とは、足利義政の時代に栄えた文化です。北山文化に比べて、禅宗の影響を色濃く受け、侘び(わび)といった簡素なものに美しさを見出す考え方に影響されています。

有名なのものとして慈照寺の観音殿(銀閣)があります。

彫刻・建築

室町時代に入ると、書院造というものが生み出されました。

書院造の特徴は、畳や襖(ふすま)、障子といったものがある点です。現在の和風住宅にもある要素ですが、書院造が元となっています。

また、平安時代に貴族の間で広まった寝殿造は開放的な建築であったのに対し、書院造は襖を多用したり天井を設けたりするなど、現在のような閉鎖的な建築となっている点です。

芸術

芸術として特徴的なものの1つは水墨画です。水墨画とは、名前の通り墨で描いた絵のことです。有名な人は雪舟で、彼は明で水墨画を学んだ後、日本で描き続けました。

 

また、生け花もこの頃に始まった文化です。書院造では、床の間に生け花が置かれるということがありました。

 

能・狂言もこの頃に始まりました。

能とは主に、面(おもて)という仮面をつけ、歴史上に登場する人物のレクイエム的・追悼的な物語を演じることです。約1時間~1時間30分位の長さになります。

一方狂言は仮面をつけず、話も会話劇や喜劇が多いのが特徴です。時間も30分程度です。

貿易

室町時代になると、中国はまた王朝が変わり、明となっていました。

その明との貿易の際に用いられたものとして、勘合があります。

勘合符と呼ばれる、文字の半分だけ書かれた板を自分と貿易相手が持ち、それらを重ねると文字がぴったりと合わさる、というもので、しっかり文字が合う船と貿易を行う、ということを行っていました。

何故、そのようなものが必要だったのかというと、倭寇と呼ばれる日本人や東南アジアの人が日本海で非公式に交易をしようとにウロウロしており、妨げとなっていたからです。正しい勘合符を持っている船だけが取引をできるという形にすれば、それを防ぐことが出来る、ということでした。

 

日明貿易では、明銭や生糸、武器などが輸入され、宋銭と同じように明銭は全国に流通し、貨幣経済が発展していくようになりました。

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