【歴史】戦後日本と冷戦 ~前編~

 

1945年の8月、広島と長崎に原子爆弾が投下されたのち、8月15日、日本の敗戦をもって戦争が終結しました。

 

戦争の終結後、世界は大きく変化していくことになりました。

世界各国は、二度と戦争が起こらないようにどうすればよいか考え、新しい国際組織をつくることを考えます。

敗戦国となった日本でも、アメリカの統治を受けながら、その国の仕組みを変えていくこととなります。

 

一方、国際社会には二大国による新たな対立が生まれようとしていました。

 

本記事では、第二次世界大戦後の日本の歩みについて解説しています。

一般常識としても知っておきたい内容が多いので、しっかり覚えておきましょう。

目次

1:国際連合の発足

 

第二次世界大戦は多くの死者を出す悲惨な戦争でした。

 

再び大戦が起こることがないように、戦勝国が中心となって、話し合いによって国際問題を解決するための組織をつくることにしました。

そうして1945年10月、51か国の加盟によって国際連合が発足します。

 

第一次世界大戦後には国際連盟という似たような組織がつくられましたが、戦争を阻止することはできませんでした。

 

国際連合と国際連盟は名前こそ似ていますが、その内容には違いがあります。

以下のように比較してみると分かりやすいです。

 

国際連合 

  • 本部はアメリカのニューヨーク
  • 発足時から、ソ連とアメリカが加盟
  • 紛争の際、武力制裁ができる
  • 多数決による議決
  • 米・英・ソ・仏・中の五大国を常任理事とした15か国による安全保障理事会を設置。              常任理事国は、議決に対して拒否権を持つ。

国際連盟 

  • 本部はスイスのジュネーヴ
  • 発足時は、ソ連とアメリカが未加盟
  • 紛争の際、武力制裁ができない
  • 全会一致による議決
  • 敗戦国に多額の賠償金を課し、ナチス台頭の原因をつくってしまう。

 

国際連盟には、いくつかの問題点がありました。

 

一つ目は、ソ連とアメリカが未加盟であったことです。

当時のソ連は、革命によって社会主義国家が誕生したばかりで、他国がソ連の国際連盟加入を嫌がりました。

また、アメリカは国際連盟への参加に世論が反対し、参加していませんでした。

国際連合にはこの両大国が参加しています。

 

二つ目は、国同士の紛争が起こった際、武力制裁ができないことです。

国際連盟は、制裁対象の国ができても、輸出入を制限したり、企業の引き上げなど、経済的な制裁しかできませんでした。

しかし国際連合では、制裁対象の国に対して、加盟国からなる連合軍を結成して武力的な制裁できることになりました。

 

現在、国際連合は193か国が参加する大きな組織になっています。

2:占領下の日本

 

1945年8月、ポツダム宣言によって、日本は正式に降伏を言い渡し、大戦の敗戦が決定しました。

 

敗戦国となった日本は、太平洋戦争で戦ったアメリカの統治下に入ることになります。

マッカーサー元帥を最高司令官とする連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が設置されました。

間接統治ですので、植民地のように米兵が常駐するわけではありませんが、GHQは日本政府に対して強い影響力を持つうえ、場合によっては軍を動かすことができる権限を持ちました。

 

GHQが押し進めたのは、非軍事化民主化です。

  

非軍事化

  • 軍隊の非武装化
  • 極東国際軍事裁判(東京裁判)の開廷                                                              →東条元首相などA級戦犯が裁かれ、死刑になるものも
  • 昭和天皇による人間宣言 

 

GHQの行った非軍事化の目的は、日本が再び戦争を起こさないような国にすることです。

そのため、日本軍を解体し、軍隊を非武装化します。

 

また、日本の開戦に対して責任を持つとされる人たちが裁判にかけられました。

戦時中に首相を務めた東条英機元首相は、A級戦犯として死刑になり、他にも政治家や軍人らが、B級戦犯、C級戦犯など、罪の重さに応じて裁かれていきました。

この裁判は、憲法や法律に基づいて行われるものではありません。日本とアメリカが戦争した際の罪の処遇について決めてるわけではありませんし、両国の間で同じルールを持っているわけでもないからです。

また、戦犯として処刑された東条元首相は、平和を脅かし、戦争へ導いた全責任があるのかというと、そうとは言い切れません。

この裁判は少し特殊なものであったことを把握しておいてください。

 

昭和天皇の人間宣言とは何でしょうか。

戦前の日本の政治家や軍人の中には、天皇を神様と考える人が一定数いました。

実際、古事記や日本書紀など日本の古い書物によると、天皇家の祖先は神様だと書いてあります。

そのような考え方から、日本人は他の民族より優れていると主張し、戦時中に日本が他国を侵略する理由に使われていたのです。

人間宣言とは、昭和天皇がそういった考えを持っていないことを主張するものです。

昭和天皇自身が人間であると宣言したものではないことを理解しておきましょう。

 

民主化

  • 言論・思想の自由、結社の自由、満20歳以上の男女全員に選挙権
  • 農地改革                                                                      →地主が所有していた農地を政府が買い上げ、小作人に売り渡す。                                          →自作農が増加、小作農が減少。  
  • 財閥解体                                                                  →三井、三菱らの財閥を解体、1947年に独占禁止法を制定。                                                             

 

民主化もGHQの行った大きな改革です。

国民が主権をもち、意思決定に参加できる国をつくることで、一部の人間の独断で戦争に向かうような事態を避けることができます。

 

戦時中には、社会主義思想や、戦争に反対する言論は禁止されていました。

戦後になると、そういった思想にも自由が与えられるようになります。

同じ思想をもった人々が結社(グループ)を作って活動することも認められました。

こうして戦後になって、労働組合(労働者の権利を主張する団体)が結成できるようになりました。

また、それまで選挙権は男性のみにしかありませんでしたが、満20歳以上の男女に与えられるようになりました。

 

農地改革も戦後の日本で起こった大きな変化です。

それまで日本の農地を持っていたのは限られた地主だけで、土地を持たない人たちは、小作人として地主から土地を借りて農業を行っていました。

小作人は土地でとれた作物を地主に納めなくてはならず、非常に貧しい生活を送っていました。

この仕組みでは、地主に権力が集中する心配と、小作人たちが社会に不満を持ち、戦争や社会主義に発展する心配があります。

そこで、政府は地主が持っていた土地を買い上げ、その土地を小作人に売ることにしました。

この結果、自らの土地で農業をする自作農が増加することとなりました。

 

経済界にも変化が起こります。

戦争中に兵器を作ることで戦争を援助したとされる財閥を解体することになったのです。。

三井、三菱といった大きな財閥を解体され、戦争の再発を防ぐことになります。

1947年に制定された独占禁止法も改革の一つです。

ある市場に一つの大きな会社があると、新しい会社が参入することができなくなってしまうため、特定の会社の独占を防ぎ、いろいろな会社によって競争が行われるようにしました。

3:日本国憲法の制定

 

憲法というのは法律や命令に優越する国家の最高法規です。

日本が戦争に突き進んでいってしまったのは、当時の憲法も大きく影響しています。

明治時代に制定された大日本帝国憲法では、国民が主権を持つ民主的な国、軍事力を持たない国を実現するのは難しいことでした。

そこで新たに制定されたのが日本国憲法です。

 

日本国憲法は、国民主権基本的人権の尊重平和主義の三つの柱でできています。

 

  1. 国民主権                                                                  天皇は国および国民統合の象徴、国会が国権の最高機関
  2. 基本的人権の尊重                                                                思想・信教・集会・表現などの自由、個人の平等など
  3. 平和主義                                                                     前文と9条において、戦争と武力の行使を放棄

 

日本国憲法と大日本帝国憲法の大きな違いは、主権者です。

大日本帝国憲法では、主権は天皇にありましたが、民主的な意思決定を行うためには、国民に主権がなくてはなりません。ですから日本国憲法で主権を持つのは国民です。

一方、それまで主権を持っていた天皇は、国および国民統合の象徴となりました。外国の王族が来日した際に面会する役割などを任せられており、政治や軍事に関する権利はもっていません。

 

日本国憲法は1946年11月3日に公布され、翌年47年5月3日から施行されました。ですから毎年5月3日は憲法記念日として国民の祝日になっています。

 

現在の日本では、日本国憲法に基づいて、様々な法律が制定されています。

下に紹介する法律は、日本国憲法ができたことによって戦後に制定された法律です。

 

日本国憲法に基づく法律の制定

  • 地方自治法                                                                 知事や首長、地方議会議員は住民の直接選挙で選ぶ
  • 民法                                                                  個人の尊厳と男女の平等(家、戸主、家督相続の廃止)
  • 刑法                                                                   治安維持法の廃止、不敬罪が廃止
  • 労働三法                                                                  労働組合法、労働関係調整法、労働基準法
  • 教育制度                                                                1947年に、教育基本法と学校教育法を制定 6・3・3・4制に改められ、小中9年間が義務教育に

 

戦後にこれらの法律が成立したのは、日本国憲法の制定によって、自由権や平等権がいっそう重視されるようになったからだと言えます。

4:冷戦のはじまり

 

第二次世界大戦の終結後、国際社会には新たな対立が生まれていました。

戦勝国の中でも特に大国である二つの国の政治信条が大きくことなっていたからです。

 

アメリカ合衆国(自由主義、西欧諸国) VS  ソビエト連邦(社会主義、東欧諸国) 

 

アメリカ合衆国を中心とする西側諸国は、資本主義の立場をとります。

市場に競争原理を持ち込み、経済成長を促そうとする個人が自由に自分の財産をもち、それをもとにお金を稼ぐことができます。

 

一方、ソビエト連邦を中心とする東側諸国は、社会主義の立場をとります。

自由主義のように私有財産を持つことや競争を否定し、国民全員の平等を目指します。

 

この対立を東西冷戦と言います。

 

 資本主義陣営と社会主義陣営は、以下のように対立を深めていきます。

 

資本主義陣営

  • 1947年6月 ヨーロッパ経済復興援助計画(マーシャルプラン)をアメリカが発表
  • 1949年西欧5か国の連合に米・カナダが加わり北大西洋条約機構(NATO)を結成。

社会主義陣営 

  • 1947年9月 共産党情報局(コメンフォルム)経済相互援助会議(COMECON、コメコン)
  • 1949年8月 ソ連が原爆実験に成功
  • 1955年5月 ソ連と東欧社会主義国が、ワルシャワ条約機構を結成


まず、対立のきっかけとなったのは、1947年6月にアメリカが発表したヨーロッパ経済復興援助計画です。

計画を発表した外務長官の名前をとって、マーシャルプランといいます。

戦争によって貧窮していたヨーロッパ各国では、国民の平等を求める社会主義が広がりつつあったため、阻止したいアメリカは、ヨーロッパ各国経済の回復を援助することで自由主義勢力に取り込んでいこうとします。

 

これに対して、社会主義陣営であるソ連は、ヨーロッパにいっそう社会主義を広げていこうと考えます。

1947年9月に結成された共産党情報局(コメンフォルム)は、ヨーロッパ各国にある共産主義政党の間で情報共有するために結成された組織で、のちに経済相互援助会議(コメコン)に発展します。

 

自由主義陣営は軍事的にも対抗します。1949年4月に、西欧五か国とアメリカ、カナダが加わる軍事同盟、北大西洋条約機構(NATO)がつくられました。

 

社会主義陣営も負けません。1949年にはソ連が初めての原爆製造に成功すると、両国は核兵器の開発競争に突入していくのです。

そして、1955年にソ連はNATOに対抗する軍事組織として、東欧諸国を含んだ軍事同盟、ワルシャワ条約機構をつくりました。

 

戦後の国際秩序の変化、日本国内の変化、そして新たな戦争の始まりについて理解できましたか。

現在の日本と現在の世界は、戦後に起こった変化を経て生まれたものなんだと覚えておきましょう。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

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