京都市右京区小倉山発祥、百人一首の魅力

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京都市右京区は、正月の風物詩として馴染みの深い百人一首が誕生した、「百人一首のゆかりの地」です。
今回は百人一首の歴史と、京都市右京区が登場する和歌を紹介します。

目次

京都市右京区は百人一首のゆかりの地

京都市右京区で誕生した百人一首

正月の風物詩として馴染みが深い百人一首。古典への興味・関心を深めるために、授業やイベントで「百人一首大会」を実施する学校も多いのではないでしょうか。また、百人一首はスポーツでも用いられており、知力に加えて日々の鍛錬と経験によって培われたメンタルとフィジカルの総合力で勝負する「競技かるたという競技もあります。

百人一首」とは、天智天皇から順徳天皇までの約550年間に出た100人の歌人の歌を、1人一首ずつ選んだ歌集のことです。百人一首が誕生した場所が京都市右京区の小倉山であったことから、小倉百人一首と名付けられました。歌を選んだのは、平安~鎌倉時代前期にかけて活躍した藤原定家(ふじわらのていか)とされています。

藤原定家(ふじわらのていか) はどんな人?

平安~鎌倉時代前期にかけて活躍した歌人。
百人一首の他に、新古今和歌集新勅撰和歌集(しんちょくせんわかしゅう)など、様々な作品に関わっている。

百人一首が「百人一首かるた」として浸透したきっかけ

かるたの語源は、ポルトガル語のカルタ(カード、札)です。江戸時代に大人子ども関係なく楽しめる遊びとして誕生し、「源氏物語歌合せかるた」「伊勢物語歌合せかるた」「三十六歌仙歌合せかるた」など沢山の歌合せかるたが普及されました。その中で「百人一首歌合せかるた」は、徐々に人気を集めていきました。
通常の歌合せかるたでは、「上の句カード」と「下の句カード」は肉筆で書かれたシンプルなものでしたが、「百人一首かるた」では「上の句カード」に歌人の絵が加えられて華やかなカードになったことにより、人気急上昇となりました。

百人一首で古文に慣れる

「31文字×100首」の和歌集なので、他の古典作品に比べると読み解く時間が圧倒的に少なく、効率的に勉強を進めることが出来ます。一首ごとに異なる世界観が味わえるので、楽しみながら勉強できるのも魅力です。
また、百人一首での古典学習に慣れておくと、和歌独特の表現技法・古文単語・背景から古文を解釈する力など様々な力が身につくので、普段の授業だけでなく受験勉強にも役立つでしょう。

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京都市右京区で詠まれた和歌作品

小倉山で誕生した百人一首。ここでは京都市右京区が舞台となった和歌を二首紹介します。

小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば 今ひとたびの みゆきまたなむ

【訳】小倉山の秋の紅葉よ、もしお前に心があるのならばもう一度天皇の御幸(みゆき)があるはずだから、それまで散らないで待っていてほしい。
【作者】藤原忠平(ふじわらのただひら)= 貞信公(ていしんこう)

藤原忠平(ふじわらのただひら)

平安時代中期の政治家、藤原基経(ふじわらのもとつね)の四男。
従一位関白太政大臣(成人後の天皇に代わって政治を行う役職)の座まで出世するなど長期間政権を支え、藤原氏が栄える基礎を作った。
とても温厚で勤勉な人物として知られている。
死後につけられた諡(おくりな)が貞信公

御幸(みゆき) とは

天皇・上皇・法皇・女院(にょういん)の外出・旅行を指す。

和歌の背景

宇多天皇(関白という官職を創った人)が大堰川(おおいがわ・現在の京都市右京区付近)へ御幸された際、小倉山の紅葉のあまりの美しさに感動し、「自分だけが見るのは惜しい、醍醐天皇(だいごてんのう)にも是非見せたいものだ」と言ったのを聞いた藤原忠平が、醍醐天皇に小倉山への御幸を進めるために詠んだ歌です。

醍醐天皇は宇多天皇の子ですが、実は藤原忠平とは遠い親戚にあたります。そのため、この和歌には肉親的な感情のつながりが前提として含まれています。宇多天皇が言った言葉をそのまま伝えるのではなく、小倉山の紅葉に対して「待たなむ(散らずに待っていてほしい)」と歌いかけ、醍醐天皇に「とても美しいこの小倉山の紅葉を、是非見にいらしてください」と呼び掛けているのです。二人に対して、藤原忠平の配慮が感じられる素敵な和歌です。

夕されば 門田の稲葉 おとづれて あしのまろやに 秋風ぞ吹く

【訳】夕方になると、門前に広がる田んぼの稲の葉がそよそよと音を立て、この芦葺き(あしびき)の家に秋風が吹いてくることよ。
【作者】源経信(みなもとのつねのぶ)

平安時代後期の歌人。別名・大納言経信(だいなごんつねのぶ)
博識多才で博識多芸で、詩歌・管弦に長じ、藤原公任(ふじわらのきんとう)と並んで三舟の才と称されている。

三舟の才(さんしゅうのさい)

詩・歌・管弦の全てが優れていること。三船 (さんせん) の才ともいわれる。
藤原公任、源経信の二人が有名。

和歌の背景

源師賢(みなもとのもろたか)が所有する梅津(現在の京都市右京区梅津)の別荘で、貴族たちが集まった歌会の際に詠まれた和歌です。
当時、貴族たちの間では都の山里に別荘を建ててリゾートのように遊ぶ「田園趣味」が流行っており、この梅津の別荘もそのような意図で建てられました。

歌の中にある「門田」は家の前にある田んぼのことで、農家が田んぼに取り囲まれている風景を表しています。
あしのまろや」は屋根が芦葺きの粗末な家という意味で、源師賢の別荘のことを指しています。実際に源師賢の別荘が粗末だったわけではなく、歌会のテーマである「田家秋風」に沿ってわざとそのように表現しています。
この和歌では、農家の田んぼに実った稲と粗末な小屋を眺め、そこによそよそとふく秋風を肌で感じている様子を、貴族らしく上品に詠っています。

京都市右京区で勉強に困っている保護者さま・お子さんへ

今回は京都市右京区で詠まれた和歌と百人一首について紹介しました。中学校から古典学習が本格的に始まりますが、覚えることも多く学習に苦労するお子さんも多いと思います。百人一首は一首が31文字と短いので少しずつ勉強するのにもおすすめですし、一首に様々な文法や表現技法が隠されているので、古典の基礎知識も定着しやすいと思います。

家庭教師のやる気アシストは、京都市右京区で「定期テストや入試・受験対策に強い」家庭教師として、小学1年生から高校3年生のお子さんを対象に、ご自宅に伺い勉強の指導を行っています。
少しでも興味を持って下さった方はこのページをご覧いただけますと幸いです。

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