








2026年9月から10月にかけて、愛知県を中心に第20回アジア競技大会が開かれました。アジア大会が日本で開かれるのは32年ぶりです。
テレビやニュースで、日本代表の選手たちが金メダルを獲得して活躍する姿を見た人も多いのではないでしょうか。
では、アジア大会とはどのような大会なのでしょうか。
本記事では、アジア大会の歴史や仕組み、そして今回の愛知・名古屋アジア大会でどんなドラマがあったのかを、わかりやすく解説していきます。
アジア大会は、正式にはアジア競技大会といい、アジアの国や地域が参加する総合スポーツ大会です。アジア大会が始まったのは、第二次世界大戦が終わってから、まだ数年しかたっていないころです。
「アジアがずっと平和でありますように」という願いをこめて、インドのネルー首相が呼びかけ、1951年にインドのニューデリーで第1回大会が開かれました。戦争で多くの国が傷つき、国どうしの関係もまだ不安定だった時代です。そんな中で「スポーツを通して仲良くなろう」と始まったこの大会は、まさに平和への第一歩でした。
最初の大会は、今よりずっと小さな規模でした。参加したのは日本を含む11か国で、選手と役員を合わせて約500人。行われた競技は、陸上、水泳、サッカー、バスケットボール、ウエイトリフティング、自転車の6競技だけでした。
この第1回大会は、日本にとっても特別な意味を持つ大会でした。戦争に負けた日本は、しばらくの間、世界のスポーツ大会に出場することができませんでした。そんな日本が戦後はじめて出場できた国際大会が、この第1回アジア大会だったのです。そしてこの大会をきっかけに、日本は翌年のヘルシンキオリンピック(1952年)への出場につなげていきました。久しぶりに世界の舞台に立った日本の選手たちは、きっと胸がいっぱいだったことでしょう。
その後、日本は自らアジア大会を開く国にもなりました。日本で初めてアジア大会が開かれたのは、1958年の東京大会です。当時の東京は「いつかオリンピックを開きたい」と考えており、新しくできた国立競技場を中心に13競技が行われました。
この大会が成功したことで、日本は「大きな国際大会を開く力がある」と世界に認められ、1964年の東京オリンピックへとつながっていきました。
2回目は、1994年の広島大会です。このときは42の国と地域から、6,828人もの選手が集まりました。原爆の大きな被害から立ち直った広島の街に、アジア中から選手たちが集まったのです。
最初の大会の11か国と比べると、アジア大会がどれほど大きく成長したかがよくわかりますね。
アジア大会は、4年に1回、オリンピックとオリンピックのちょうど間の年に開かれます。陸上や水泳、柔道など、オリンピックと同じ競技がたくさん行われることから、「アジアのオリンピック」とも呼ばれています。
実際に、大会のメインの会場にはアジア大会の旗と並んで、オリンピックの五輪旗も掲げられます。アジアの選手にとって、アジア大会はオリンピックへとつながる大切な舞台なのです。
大会を開いているのは、アジア・オリンピック評議会(OCA)という団体です。大会のモットーは「Ever Onward(エバー・オンワード)」で、「どこまでも前へ進もう」という意味が込められています。
アジアの国や地域が集まってつくっている団体です。アジア大会の開催地を決めたり、大会を運営したりしています。オリンピックでいう、IOC(国際オリンピック委員会)のような役割です。
また、アジア大会には夏の大会だけでなく、冬季アジア大会もあります。実は「冬の大会も開こう」と提案したのは日本で、1986年に北海道の札幌で、第1回の冬季アジア大会が開かれました。
そして2026年、日本で3回目となるアジア大会が愛知・名古屋で開かれました。大会期間は9月19日から10月4日までの16日間です。45の国と地域などから、過去最大となる1万5千人以上の選手が参加しました。
会場は愛知県を中心に、東京、静岡、岐阜、大阪も含めた54か所。全部で43競技が行われました。
そんな大会で、地元開催となった日本代表の選手たちは大活躍しました。日本が獲得したメダルは、金メダル83個、銀メダル95個、銅メダル91個、合計269個です。金メダルの数、メダル数全体ともに、これまでの記録を超えて過去最多となりました。国・地域別のメダルランキングでは、中国に次ぐ2位です。
特に陸上競技では、金メダル10個を含む32個のメダルを獲得しました。前回の杭州大会では17個だったので、およそ2倍に増えたことになります。地元の大きな声援を受けて、多くの選手が自分の力を出し切ったのです。
アジア大会には、オリンピックでは見られないアジアならではの競技もあります。
アジア大会では、東アジア・東南アジア・南アジア・中央アジア・西アジアの5つの地域から、それぞれの地域で人気の競技を取り入れていて、今回の大会でも「アジア5地域の競技」として5つの競技が行われました。
たとえば東南アジアで人気のセパタクローは、手を使わずに足や頭でボールを蹴り合う、バレーボールに似た競技です。選手が空中でくるっと回転しながらボールを蹴りこむ姿は迫力満点です。今回の大会では、日本代表がこのセパタクローでも金メダルを獲得しました。
中国生まれの武術太極拳も、アジア大会ならではの競技です。カンフーのような技の美しさや力強さを競うもので、公園などで体操として行われている、ゆっくりとした動きの「太極拳」もこの仲間です。
中央アジアのウズベキスタン生まれのクラッシュは、柔道に似た格闘技です。また、南アジアではクリケットが大人気です。インドやパキスタンでは、日本でいう野球のように、多くの人が夢中になる国民的なスポーツなのです。
さらに、ゲームの腕前を競うeスポーツも、前回の杭州大会から正式な競技になりました。日本生まれのソフトテニスも行われていて、中学校の部活でソフトテニスをしている人にとっては、身近に感じられる競技かもしれませんね。
このように、アジア大会を見ると、アジアのいろいろな国や地域の文化にふれることができるのです。
今回のアジア大会では、10代の若い選手たちが特に注目を集めました。競泳では、17歳の大橋信(おおはし しん)選手が、男子200m平泳ぎで世界新記録を出して優勝しました。世界新記録とは、これまで世界中で出されたどの記録よりも速いタイムのことです。
大橋選手は、最終日の閉会式で日本選手団の旗を持って行進する旗手という大切な役目も務めました。スケートボードでも、長谷川瑞穂選手と永原依弦選手が金メダルを獲得し、日本はスケートボードだけで7個のメダルを手にしました。
そして大きな話題になったのが、eスポーツの「ぷよぷよ」部門です。日本選手団で最年少の栗原悠輝(くりはら ゆうき)選手が、圧倒的な強さで金メダルを獲得しました。
ぷよぷよは、同じ色の「ぷよ」を4つ以上つなげて消していくパズルゲームで、次々と消える「連鎖」を組み立てる計算力や、すばやい判断力が勝負を分けます。
栗原選手は、なんと11歳です。これまでのアジア大会の最年少メダリストは12歳だったので、その記録も大きく塗り替えました。小学生と同じ年齢の選手が、アジアの頂点に立ったのです。年上の選手たちを相手に、落ち着いて戦い抜いた姿に、多くの人が驚かされました。
若い選手だけではありません。長年活躍してきたベテラン選手も輝いていました。ソフトボール女子では、44歳の上野由岐子(うえの ゆきこ)選手たちのチームが、7大会連続の優勝を果たしました。
上野選手は、2008年の北京オリンピックで日本に金メダルをもたらしたエースピッチャーとしても知られています。何年も練習を積み重ね、トップレベルで戦い続ける上野選手の姿に、多くの人が勇気をもらいました。
大会の最終日には、大会で最も輝いた選手に贈られる大会MVPが発表されました。MVPとは「Most Valuable Player」の略で、「最も価値のある選手」という意味です。選ばれたのは、タイのブーンソン選手と、中国のユー選手の2人です。
ブーンソン選手は、タイ代表の陸上短距離の選手です。男子100mで大会新記録となる9秒90を出して優勝すると、200mでもアジア記録に並ぶ19秒88で優勝し、短距離2種目で金メダルに輝きました。100mを9秒台で走れる選手は、世界でもごく一部しかいません。
ユー選手は、中国代表の競泳の選手です。出場した3種目すべてで優勝し、そのうち1種目ではアジア新記録も出しました。しかもユー選手は、まだ13歳。アジア大会の歴史で最年少のMVPとなりました。
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アジア大会は、第二次世界大戦が終わって間もない1951年に、「スポーツでアジアを平和にしたい」という願いから始まりました。日本にとっては、戦後に再び世界の舞台へ戻るきっかけとなった大切な大会でもあります。
11か国から始まったアジア大会は、今では1万5千人以上の選手が集まる大きな大会へと成長しました。そして今回の愛知・名古屋アジア大会では、11歳から44歳まで、さまざまな年齢の選手たちが、それぞれの目標に向かって全力で挑む姿を見せてくれました。
アジア大会のあとには、障害のある選手たちが活躍するアジアパラ大会が、10月18日から24日まで開かれます。また、次のアジア大会は2030年に、中東のカタールにあるドーハで開かれる予定です。
いかがでしたか?
今回は、アジア大会の始まりと、愛知・名古屋アジア大会で生まれたドラマについて紹介してきました。11歳や13歳の選手がアジアの頂点に立てたのは、毎日の積み重ねがあったからこそです。勉強や部活でも、小さな努力を続けることが大きな結果につながります。
みなさんも自分の目標に向かって、一歩ずつ挑戦してみましょう。
学習アドバイザー 早川
これまで学習アドバイザーとして沢山のお子さんのお悩みを解決してきました。そのノウハウや勉強のコツなどをこの記事を通して発信していきます。





