【歴史】第一次世界大戦と国際社会

今回は、「第一次世界大戦」についてその背景と内容、結果について解説していきます。

一般教養としても知るべき知識ですので、しっかり復習しましょう!

テスト頻出範囲でもあるため、赤文字は確実に暗記して、内容の理解もしていきましょう!

1.緊迫するヨーロッパ情勢

東アジアで日本が勢力を拡大していたころ、ヨーロッパは列強国の勢力争いでもっと荒れていました。

詳しく説明すると非常にややこしくなるのでかいつまんで説明します。

 

19世紀末期のヨーロッパでは、ドイツ・ロシア・オーストリア・イタリアなどが手を組んでフランスを孤立させる体制が出来ていました。

しかし、ロシアとドイツの中が悪くなると、ロシアはフランスと手を組むこととなりました。

これを露仏同盟といいます(覚えなくていいです)。

 

また、元々清の権益を多く持っていたイギリスに対抗して、ドイツは清の権益をどんどん手に入れていきました。

イギリスが進めている「植民地を点と点で結んで鉄道をつくる計画」の場所とぶつかる場所で同じような事を始めました。

このような背景から、ドイツとイギリスは敵対することとなり、日本とは日英同盟、ロシアとは英露協商というものを結びました。

イギリスとフランスは、ドイツのアフリカ進出を食い止めるため、お互いに自分たちの権利を保障すること、そしてドイツの進出を防ぐことを目的として英仏協商が結ばれました。

 

このようにして、ヨーロッパには、

  • 三国同盟(さんごくどうめい):ドイツ、オーストリア、イタリア
  • 三国協商(さんごくきょうしょう):フランス、ロシア、イギリス

という2大グループが形成されていきました。

(イタリアはフランスとも仲良くしていたので、実質オーストリアとイタリアの2か国の繋がりではありました。)

 

ちなみに、アメリカは当時「他国に干渉しないし、干渉させません!」という主義(モンロー主義)を取っていたことから、これらに関わることはありませんでした。

2.ヨーロッパの火薬庫

ヨーロッパの中でも、バルカン半島は様々な民族がいて、そして列強がそれぞれの理由で影響力を欲していた土地でした。

その特徴から、バルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれていました。

バルカン半島にあるセルビアという国はトルコ(オスマン帝国)から独立した小国であり、ロシアと民族的に近い事から仲良くしていました。

一方、その土地へオーストリアが勢力を拡大しようとしており、ロシアとオーストリアがにらみを利かせていたのでした。

 

そんな中で、セルビアの青年が、セルビアの隣国であるボスニアのサラエボという都市で、オーストリアの皇太子を暗殺するという事件が発生します。これをサラエボ事件と言います。

サラエボ事件によってオーストリアはセルビアに対して到底受け入れられない条件を要求しますが、それを全て受け入れられなかったことによって、オーストリア-セルビア間で戦争がはじまります。

今度はセルビアと仲が良く、オーストリアと敵対関係であったロシアがオーストリアに対して宣戦布告します。

その後、ロシアと協商関係にあったフランス、オーストリアと同盟関係にあったドイツが参戦し、その後イギリス、日本、オスマン帝国なども次々と参戦していきました。

 

こうしてなし崩し的に発生した初の世界大戦を、第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん)といいます。

 

3.戦争の新しい形

この戦争では、今までの戦争と大きく異なる点がいくつもあります。

一番大きな点が総力戦となったという事です。

 

それまでの戦争は各国の軍同士のみが戦い合って勝敗を決めるものであり、国民への影響は極めて小さいものでした。

ところが、第一次世界大戦からは各国が国民を全員動員して戦争の為に動かす(働かせる・教育する)という事を行いました。

これによって、戦争の規模はこれまでに比べてずっと大きいものとなってしまったのです。

 

また、近代兵器が多く用いられることになった点もあります。

それまでの戦争というのは、銃剣や大砲で突撃するものが主流でした。

ところが、この大戦ではお互いに塹壕(ざんごう)というものを掘り、お互いに攻めにくく守りやすい形で戦いが進められていきました。

塹壕を突破するのは難しく、「攻めたら負け」となってしまうような状況となっていました。そこで、塹壕を突破するための様々な兵器が開発されていきました。

その代表的なものは戦車、毒ガス、航空機です。

これらが本格的に導入されたのはこの戦いが初めてでした。

4.アメリカの参戦

上のような塹壕戦になってしまったことにより、戦争は非常に長引くこととなりました。

この戦争は主にドイツvsフランス・イギリス・ロシアとなっていましたが、どの国もボロボロになっているような状況で戦争を決めきれる状況にありませんでした。

 

そんな中、ドイツは敵国のモノや人の動きを止めるために、潜水艦で船をどんどん沈めるというものを行っていました。

これによって沈めた船の中にアメリカ人が100人以上乗っていたものがあり、多くが死んでしまいました。

アメリカは「他国に干渉しない」ことを決めていたものの、何の罪もない自分の国民がドイツに殺されたことを受けて、連合国側で参戦することを決めます。

こうして、ボロボロになっていたドイツの下に無傷のアメリカがやってきたことによって、戦争はまもなく終了しました。

5.第一次世界大戦の終結と国際組織の結成

第一次世界大戦が終了すると、フランスのヴェルサイユで講和条約が結ばれました。

ドイツは領土の多くを奪われ、国の予算の何十年分にもわたる賠償金を要求されることとなりました。

この賠償金はあまりにも大きすぎた為、次の世界大戦の引き金の一つとなります。

 

また、アメリカのウィルソン大統領の提案によって「国際平和の実現」を目的とした国際連盟(こくさいれんめい)という国際組織が結成されました。

本部はスイスのジュネーブです。

日本は、イギリス・フランス・イタリアと共に常任理事国となるものの、アメリカ・ロシアが加盟しなかったため、それほど機能しませんでした。

6.アジアの独立運動

アジアの民族運動についても見ていきましょう!

 

  • 朝鮮:三・一独立運動

1919年、日本の植民地支配下に置かれていた朝鮮半島のソウルで、

宗教指導者らが独立宣言を発表しました。

その後、反日・独立運動が全国に拡大していきました。

 

 

  • 中国:五・四運動

1919年、三・一独立運動の影響を受け、二十一か条の要求やパリ講和会議の内容に抗議するデモが広がりました。

そして、中国政府が講和調印を拒否しました。

 

 

  • インド

イギリスが、大戦時、インドに戦後の自治を渡すことを条件に、戦時中の兵士や物資の提供をさせました。

しかし、大戦後も実質的な自治権をわたさなかったところ、

インドはガンジーを指導者とした非暴力・不服従の独立運動を行う。

 

以上が、第一次世界大戦前後の国際社会の様子です。

どこの国とどこの国が敵対しているのか、しっかりと復習して、時代の流れをつかんだうえで、重要語句の暗記を進めましょう!

最後までお読みいただきありがとうございました。

他にも様々なお役立ち情報をご紹介しているので、ぜひご参考にしてください。

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